アップルパイ御殿が建たなかった話😂
- applepockets
- 6月11日
- 読了時間: 4分

世界のアップルパイ巡りの続きを書きたかったんですけど、その前にApple Pocketsのルーツともなった個人的なエピソードを書こうと思います。
思い出すと今でも少し胸がすぅすぅする話なので、お暇な方はお付き合いください(笑)。
30年ほど前、テンチョは当時アメリカと日本を行き来する生活をしておりまして、日本に住んでいる時期に母が時々泊まりに来ていました。
母は茨城県北部のりんご産地で旅館の女将をしていたのですが、ある時私が作ったアメリカのアップルパイを食べて、
「これ美味しいねえ。うちでも作れるかなあ?」
と言うので、当時お気に入りだったレシピを教えました。
その後、私は引っ越したり、次男が生まれたりと慌ただしく過ごしていたのですが、ある日気づいたら母が地元のりんごを使ってアップルパイを商品化していて、しかも旅館の名物になっていました。
ええ???
と思って見に行ったら、私の知っているアメリカンアップルパイからだいぶ変わっていました。
母曰く、
「練りパイ生地は硬いから年配のお客様には受けないでしょ。サクサクの折パイ生地の方が私は好き」
さらに本来は生のりんごを包んで焼くところを、
「それだとりんごの季節しか売れないから、旬の時期に加工して一年中販売できるようにした」
とのこと。
「全然アメリカンアップルパイじゃないじゃん!」
とツッコミどころ満載だったのですが、目の前には2時間待ちの大行列。

黙るしかありませんでした(笑)。
その後、アップルパイは何度もテレビで紹介され、旅館を超え、地域の名物になりました。
母は4姉妹なのですが、当時は繁忙期になるとおばさんたちも助っ人として全員集まり、パートさんたちと一緒に早朝から暗くなるまでアップルパイを焼いていました。
夜になると姉妹で実家のこたつを囲みながら、
「この家、建て替えられるかなあ」
「アップルパイ御殿建っちゃうかなあ」
なんて笑いながら夢を語っていたそうです。
当時のおばさんたちは40代、50代。
今の私と同じくらいの年齢です。そして地方でその年代は「若手」と呼ばれます(笑)。
今思うと、みんな本当によく働いていました。
そして本気で楽しく夢に向かって助け合っていたと思います。
それから30年。
長く続いた旅館は残念ながら昨年幕を閉じ、母も女将を引退しました。
いろいろなターニングポイントはあったと思います。
でも結局、母は最後までアップルパイ屋ではなく旅館の女将だったんだと思います。
あの頃の行列や、おばさんたちの笑顔を思い出すと、今でも切なくなります。
実家もなくなり、帰る場所がなくなったことは悲しいことです。
でも私は、あの時間は決して無駄ではなかったと思っています。
みんなが本気で夢を見て、本気で働いて、本気で笑っていた時間だったからです。
Apple Pocketsのアップルパイは、母が作っていたアップルパイとは別のものです。
私と母とは違いますし、私は旅館の女将ではありません😂。
ただ、あの時代を見ていたからこそ思うことがあります。
夢を見ることは素晴らしい。
しかし、動ける時に的確に動かなければ、叶わない夢もある。
Apple Pocketsにアップルパイ御殿を建てる夢はありませんが😂、自分なりに納得できる形でできることを的確に頑張っていきたいと思っています。
50代は若手なんで(笑)。
ちなみに母のことを心配しておられる方へ。
母は今、東京で暮らしています。
81歳からの上京はなかなか大変でしたが、なんやかんや元気にしています。
最近は「もりのかがやきのアップルパイは本当に美味しい🥰」と言っていました。

そして現在、脊柱管狭窄症の治療中なのですが、
「りんごの季節までには治して、お店にりんごを剥きに行くから!」
と言っています。
まだ剥く気らしいです😂。
私も昔のことばかり思い出してしんみりしている場合ではありません。
来シーズンもたくさんの美味しいりんごと出会いながら、皆さまに美味しいアップルパイをお届けしていこうと思っています(๑•̀ㅂ•́)و✧
それが多分、今私の見ている夢に繋がっていることだと思うので!🍎🍏





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